フード最前線
(熊本日日新聞で連載)
    祭りの屋台から食文化発信    (2008-02-24)
復活した高津宮神社の「富くじ」の抽選に集まった人たち

 大阪にでかけた。大阪市中之島の評判の居酒屋「ながほり」の中村重男さんから、年に一度の「高津宮・とんど祭り」に呼ばれたからだ。大阪で人気の料理店が十六軒の屋台を出すという。
 開催は一月十四日。開始は十一時。朝九時には境内や神社の裏の公園に屋台が準備されていた。これが、焼き鳥、鍋はもちろん、フレンチ、イタリアン、中華、蕎麦(そば)、うどん、スイーツなどさまざま。九時半くらいから焼き鳥や鍋など屋台が店開きをすると、やがて長蛇の列。開催時間の十一時には、神社内は人ごみで動けないほどになった。屋台はどこも、ほとんどが一時間待ちという賑わいだ。人出はなんと四万人だという。大阪では、評判の店が神社で屋台を出す、と口コミで広がり、人気の祭りとなったという。
 境内では屋台だけではなく、落語会、野外ステージでの津軽三味線やフォークのライブ、クラシックなどもあり、こちらも盛況。このほか、人気を集めたのが、江戸時代の富くじを復活した抽選会だ。神社を舞台にした「高津の富」という落語が実際にあり、そこで、昔のように神社前で箱の中の木の札を突いて、札を読み上げる形を再現した。当選者には米やジャガイモなど景品があたる。
 宮司の小谷真功さんによると開催は二〇〇二年から。それ以前は二千人もくればよかったというから、六年間で動員は二〇倍になったことになる。
 料理家が屋台を出す。実に簡単なことだが、こんなこと、これまでほとんど誰もが思いもつかなかったに違いない。「一般の夏祭りの屋台と違いおいしい店が出ている。リーズナブルで気軽な楽しみとなっている。神社を知ってもらう機会になりました」と宮司の小谷さん。
 高津宮(高津神社)は、千日前通と谷町筋の交差点の近く。仁徳天皇を主神として八六六年に始まったという。一五八三年に現在地に移り、昭和二十年に戦火にあい焼失。昭和三十六年に氏子の力で復興した。ところが、最近は周囲にマンションが建ったり、氏子も高齢化するなど、参拝者も激減してきていたという。
 そこで相談うけたのが「ながほり」の中村さん。中村さんたちが支援している落語の会「黒門寄席」を、神社でできないかという話からだった。そうして、神社での高座が開かれるようになった。落語だけでなく、食の文化も発信しようと、中村さんが仲間に呼びかけて始まったのが、「とんど祭り」での屋台である。「大阪と関西を元気にしたいという思いからだった。最初は、八店から始まった」と中村さん。
 中村さんたち料理家の集まりは、秋に料理専門学校を解放して、プロの料理家が、本物の素材を使って、マンツーマンで料理を教える「親子料理教室」も開催したり、大阪府の試験センターとの連携で、伝統野菜の復活に協力をしたりもしている、まさに、いろんな場所や機会を利用して食文化を発信しているのである。