映画評
    敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~    (2008年7月1日掲載)

「THE BIG ISSUE JAPAN ビッグイシュー日本版」98号

イラク侵攻の陰にファシズムの幻影が浮かぶような恐怖
『敵こそ、我が友〜戦犯クラウス・バルビーの3つの人生〜』

あまりの意外な展開におもわず息を呑んだ。そこには、アメリカのブッシュ政権のイラク侵攻の背景にドイツのヒトラー時代のファシズムの幻影が大きく浮かびあがるような恐怖を感じたからだ。
 この作品はドイツ占領下のフランスにあってヒトラーの親衛隊保安部(ゲシュタポ)に所属し、ユダヤ人の収容所への移送やレジスタンスの殺害、拷問などを指揮した中心的存在の人物クラウス・バルビーの生涯を追いかけたものだ。彼は別名「リヨンの虐殺者」と呼ばれた。彼の行動とその裏で動く国と政治のありようは映画よりも奇想天外な広がりをみせる。
 クラウス・バルビーは、ドイツのヒトラー政権崩壊後、自由連合の中心であり、敵であったはずのアメリカの陸軍情報部(CIC)に雇われた。それは、冷戦下におけるソ連の情報収集と西側諸国での左派政権誕生を阻止するためだった。
 だが、そのことがフランスに察知されるとアメリカはバルビーをかくまい、南米に逃亡させた。それもバチカンの右派の神父の協力の下にである。
 1951年ボリビアにアルトマンの偽名で逃走したバルビーは、ボリビアの軍事政権と接触し、やがてブレーンとして活動をする。66年ボリビアに潜入したチェ・ゲバラは、政府軍に逮捕され処刑されるが、ゲバラたちのゲリラ戦封じをアメリカ陸軍と謀ったのが、バルビーだったという。
 大戦後50年間、虐殺者であったバルビーは生き延び、アメリカCICの対ソ諜報活動、その後、ボリビアの軍事政権の支援、ヒトラー王国の再建の野望、そしてボリビアのゲリラ活動封じと国境をまたいで活動を続けた。それはボリビア政権が崩壊し、87年、フランスで「人道に対する罪」として、ナチス時代の罪が問われ終身刑を宣告されるまで続く。
 映画はバルビーの現存するインタビュー、フランスの裁判の映像を中心に、娘、隣人、迫害を受けた当時の人、ボリビアの関係者、歴史学者など、多くの証言をちりばめる。そして、バルビーを通して、現在まで続いているだろうファシズムの幻影を、くっきりと浮かび上がらせる。
 バルビーは家庭では、いい父親を演じていたというが、彼のようにアメリカ政府も、自由と平等の国を演じているのかもしれない。なぜなら、今もアメリカは戦争をし続けているのだから。