映画評
    おいしいコーヒーの真実    (しんぶん赤旗 2008年6月20日掲載)

ドキュメンタリー映画 「おいしいコーヒーの真実」が問いかけるもの
流通構造と食と地域のあり方と
「おいしいコーヒーの真実」 

 私たちがふだん飲んでいる一杯のコーヒーが、どこから運ばれてくるのか? 
 映像は、コーヒーのプロによるティスティング(味利き)の風景から始まる。高品質として選ばれたのは、エチオピアのモカ種ハラー地区の豆。こうしてカメラはエチオピアの現地に向かう。そこでは、コーヒーでかろうじて生計をたてている農民の姿が登場する。

一日の賃金はわずか0・5ドル

 現地での、生産から選別、集荷、取引、さらにニューヨークの取引所からコーヒーのトレードショー、コーヒーショップの店舗まで、流通の仕組みを映し出す。
 ここで知るのは、多国籍にまたがり大きな流通のなかで、世界規模で、コーヒーが売買されているということだ。
 コーヒーの価格はロンドンやニューヨークなどの商取引所で決まり、生産者には価格決定権はない。エチオピアの生産者の取り分はきわめて少ない。集められた豆は手で選別を行い、形の悪いものを取り省く。選別には女性が携わり、一日の賃金はわずかに0・5ドルしかならないという。
 この待遇を改善すべく活動しているのが、現地のコーヒーの農協の組合を作ることで、よりよい品質と、農家への還元をはかろうと活動するタデッセ・メスケラ氏だ。彼は日本にも研修に来て農協のシステムも学んだという。
 彼は、農家に流通の仕組みや品質のよしあしで価格が変わること、高付加価値にするにはどうすべきかを生産農家に具体的に話す。そして条件のいい取引を求めて海外にも出かける。それまで生産のみだった農家への意識改革の第一歩だろう。
 だが、このコーヒーの流通構造は、果たしてコーヒーだけのことなのか。実は、小麦やトウモロコシなど私たちの普段口にする多くの食でも同様なのだ。

日本の現場の価格決定権は

 また日本の食糧生産の現場でも、ほとんどが価格決定権がない。大手流通に委ねられている。価格は市場原理で決まってしまう。結果、農業は衰退し、地域の活力は奪われている。国内でも大きなグローバリゼーションのただなかに実は巻き込まれているのだ。それを変える仕組みとして直接消費者に販売したり、自ら加工、製品化する活動が国内でも活発に動き始めている。
 この作品は、一杯のコーヒーから、私たちの食と地域のありかたを、自らどうしていくべきかを問いかける、じつは、もっとも普遍的なテーマを投げかけてくれる。