第7回 さいたま市で田舎暮らし体験はいかが
田んぼでの田植え体験、泥遊び、カブトムシ採り、炭焼き、四季にわたっての野菜作り、農家の囲炉裏での山菜や季節の野菜の料理。と、いうと遠く山村のイメージだが、実は首都のすぐそばで、一年をとおして田舎暮らし体験できるところがある。
東京外環自動車道と東北自動車道の交差するあたり、浦和ICの近く、埼玉県さいたま市緑区にある萩原さとみさん経営の『ファーム・イン さぎ山』である。近くにはサッカーの埼玉スタジアムがあることで知られるところ。南北線の「うらわみその駅」ができたことで六本木まで1時間という場所なのである。
ファームが近くなると、急に緑が増えてきた。木立の中の小さな小道を抜けると、そこには広々とした緑地があらわれた。いくつもの畑に、さまざまな野菜が栽培されている。子供連れの親子がたくさん。ちょうど芋の植え付け講習の最中で、萩原さんの説明に人垣ができている。子供たちは手順を聞き、長男の毅さんが耕した畑に入って芋の苗を植えた。この日、参加したのは42家族、およそ160名である。
「今日は朝9時半集合で、除草をして、肥料を入れ、土寄せをして、サトイモ、ナス、シシトウ、ピーマン、落花生、インゲンを植えたんです。それからお昼を食べて、午後が田んぼでの田植えなんです」と萩原さん。芋の苗を植えた後は、それぞれ青空の下で思い思いのお弁当。そうして午後からは、ちょっと5分ほど歩いて田んぼに行き、スタッフの人に苗をもらって田植えが始まった。今回が初めてという子もいて、泥いっぱいの田んぼに入るか入らないか、しばらく様子を見ながら迷っている子もいれば、そばの小川で水遊びを始める子、カエルを見つけて追っかけている子もいる。みんな楽しそうだ。
お母さんたちに尋ねてみると、埼玉県内のあちこちからやってきた人が少なくない。動機は「子供たちに土遊びや、田植えや野菜作りを体験させたい」という人が圧倒的。今年初めての人もいれば、3年目という人もいる。なかには東京からここに毎月通う人たちもいる。なにせ、ファームはもちろんだが、近辺は、まるで田舎に来たよう。まだまだ緑はたくさんあふれているのである。上空には鴨が飛ぶ姿もみることができる。
「ファーム・イン さぎ山」には、42区画の一般参加ができる畑がある。一区画が30平方メートル。年会費15000円で利用できる。ただし、肥料代、燃料費、種代や、田んぼの田植えなどは別料金である。この会員対象に、3月〜12月までの毎月1回第2土曜日に「かあちゃん塾」というのがあって、ここで農作業やさまざまな物づくりの会が、萩原さんと、6名のスタッフ、それにご主人の哲さん、長男の毅さん、次男の哲也さんが手伝って運営されている。
「いろんなことをやってます。これまで、炭焼き、竹馬作り、お手玉、虫取りなどもしました。共感してくれた仲間がスタッフになってくれて手伝ってくださるからできるし、みなさんが喜んでくれるからできる。おかげでいろんな人が来て下さって、知恵をさずかる。長男次男が助けてくれる。楽しいですね。一人ではできません」。
6月はサツマイモ植え、7月はジャガイモ堀り、8月は、さいたま副都心のホテルブリランテ武蔵野の総料理長、山田清人さんを招いてのDAYキャンプでの料理教室、9月は秋野菜種まき、稲刈り、10月はサトイモ収穫、12月は大根収穫、落ち葉はき、餅つきと、四季おりおりのイベントがもりだくさん。畑はふだんは開放されていて、契約している家族は自由に畑に入ることができる。
ファーム内には、園内にあった木を17年間乾燥させた木材を使い民家風の囲炉裏のある食事どころ「諏訪野」も作った。ここでは、予約制で毎週の食事会や、不定期の外部講師を招いてのイベントも行われる。月1回の塾の日には、囲炉裏を囲んで、萩原さんは、手作りのお昼ご飯で、スタッフと語らう。食事はおいしいし、くつろげるところだ。ファームでは、昨年から、近所の農家7軒と連携して、近在の30軒の一般家庭用に野菜の販売も始めた。「長男が後を継ぐようになって始めたのです。塾の一期生の人たちのネットワークから始まった。8品目から10品目が入って2500円。うちは、すべて除草剤も農薬も使ってません。野菜がおいしいと評判で、大人気なんです」という。
萩原さんの家は代々続く農家で、過去帳が焼けたので正確にはわからないとはいうが、少なくとも10代前から農業を営んでいるという。そもそも一般に開放するファームを始めたのは1997年のこと。それまでは、この地域の農家で盛んに行われていた植木の販売が主流だった。ところが、萩原さんの親がなくなり膨大な相続税がかかってきた。「もう億単位。10年以上せっせっと朝早くから働き蓄えてきたものも10分の1以下にもならなかった。もう農業は馬鹿馬鹿しくてやってられないというほどのものでした」という。
埼玉もそうだが、東京でも、都市農業を苦しめているのは、先祖代々に続く農地への莫大な相続税である。たとえ農業を存続させたいと願っても相続税のために土地を手放さなければならないケースが圧倒的。こうして代が代わるごとに農地は減り、農業もする人も激減するということが起こっているのである。萩原さんも、近くの山林を税金の代わりに差し出した。農業にとって山林は、薪を切り出し、堆肥の落ち葉を取り、山菜を集めた、必要なところであった。
萩原さんが、一般の人が参加する新しい農業に切り替えたのは、海外視察がきっかけだった。1992年にドイツ、フランス、1994年にはスエーデン、2004年には、再びドイツを訪ねた。「海外では、古いものを大切にしていて、農業を伝えることをしている。山岳の農業では、癒しとしての利用や、バカンスに農村を使うことが行われていた。ドイツでのグリーンツーリズムを視察したときに、アンリ・グローローさんという講師の方に、私たちの農業をどうしたらいいか尋ねたのです。そうしたら、都市に近く、消費者もいるのなら、ぜひ癒しとしての農業をするべきだ、と言われて、はっきり方向が決まったのです。あまりもうかる必要はない。それよりも、農業や地域の食文化をきちんと伝えたい。楽しいものでありたいと思っています」という。
こうして都市部に近接しながら、農業景観や季節の野菜の料理、農村の知恵に親しむという、埼玉県では異例の一般の人たちを農家に迎え入れるグリーンツーリズムが誕生したのである。(ライター、金丸弘美)
2005年5月27日
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