第12回 幕末アンパンの材料「北斗の小麦」
八ヶ岳にふもとにある山梨県北斗市の標高960メートルの長坂町では、パン用の小麦「北斗の小麦」が、栽培されている。小麦栽培の農家は11軒。今年は10トンが収穫される予定である。この小麦は、知的障害者通所授産施設 社会福祉法人「緑の風」(武田和久理事長)で、製粉されて施設内でのパン作りに使われるほか、横浜のパン器具を扱う櫛澤電機を通してパン屋さんにも販売もされている。
「緑の風」が誕生したのは2003年。20名定員で、現在、19名が通いで、花作りやパン作りの仕事をしている。施設内には花壇や畑などがある。「彼らが少しでも仕事ができるように役割を作るのが僕らの仕事。私たちが彼らの人生に、どう生きるかお手伝いするということですね」と、施設長の鈴木正明さん。
施設の、2004年の花やパンやパンの粉などの総売上は1000万円あった。そこから材料費やパートの人たちの人件費などを支払ったあと純益を施設で働く障害のある人たちに渡している。月額9000円だった。これを少しでも多くしたいというのが、鈴木さんたちスタッフの願いだ。
施設の重要な仕事のひとつにパン作りと販売がある。収穫された小麦は倉庫で保管され、ゴミを取り、石臼でひいて、櫛澤電気を通して、パン屋さんに販売される。また施設内の工房で、パンが焼かれ、特別の販売車で、町に売りに出かけている。このパン作りを小麦栽培から始めるきっかけを作ったのが鈴木さんだ。鈴木さんは山梨に来る前、横浜で「社会福祉法人
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共働舎」の運営に携わっていた。その時に施設でパン釜を作り、パンを焼いて販売をすることを行っていたのである。施設のパン作りを支援してきたのが、同じ横浜だったパン器具を扱う櫛澤電機の社長、澤畠光弘さんだったというわけだ。
「実は、『緑の風』の運営を依頼されて山梨に来てみると、櫛澤電気の社長の澤畠さんの親友で、パン作りをしていた『inno』の故・猪原義英さんのお店が偶然近所だったんです。猪原さんはガンでなくなり、今は息子さんがあとを継いでいらっしゃる。猪原さんは、農家に頼んで小麦栽培からパン作りをしていらっしゃった。僕らもお願いしようと農家を訪ねたら、もう高齢で、今は3軒の農家しか栽培をしていらっしゃらなかった。これは大変だということで、僕らも畑を借りて小麦の栽培を始めたんです」と、鈴木さん。
「畑を借りて、小麦を栽培すると、農家の方々が草刈りや刈り取りなどで手伝いにお見えになった。それで、近所の農家の方々に、小麦栽培のお願いにあがったら、農家の集まりに呼んでくださって、7、8人ほどの方が小麦栽培を申し出てくださったんですね」と鈴木さんは語る。
北斗市で生まれた小麦ということで「北斗の小麦」と名づけられた。この北斗の小麦が、横浜の18軒の農家と連携した商品「幕末アンパン」の材料として使われ、大きな話題になった。農家は高齢者が増えており後継ぎがいないこと、米の減反で、米に代わるもので安定して栽培する作物が必要とされていた。そのときに、小麦販売を「緑の風」が引き受けることで、パン屋さんと、施設と、農家とが結ばれるプロジェクトとなったのだ。この小麦栽培には、農業改良普及所も入り、町もバックアップして、本格的に取り組むということになったという。
左から鈴木正明さん、澤畠光弘さん、緑の風支援・作業統括主任栗原えつこさん
「inno」の故・猪原義英さんとパン作りで親交があった農家・淺川清さん、淺川定良さんは、猪原さんが10年前に持参した5kgの麦の種から増やして、小麦栽培をしてきた。「生産者の高齢化で、収穫は大変になってきた。だけど、またせっかく縁ができたから、小麦だけは、みんなでやって増やそうと思う」と定良さん。実は、定良さんの娘さんが、東京・世田谷でパン屋さんを始め、北斗の小麦を使ったところ、とても評判がいいという。定良さんにとっては、自ら栽培した小麦が、娘さんや、パン屋さんから、直接、反響をもらうというのは、初めてのこと。そのことも、小麦栽培に励みになるという。(ライター、金丸弘美)
社会福祉法人 緑 の 風 http://www.midorinokaze.jp/
2005年7月1日
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