第13回 「幕末アンパン」一行、徳之島に行く
横浜のパンの機械を扱う櫛澤電機の澤畠光弘さんが「幕末アンパン」を立ち上げたことは、何度か紹介した。まるで今川焼きのような幕末アンパンは、マスコミ40媒体以上に取り上げられて、大きな話題となった。この原料には、奄美諸島・徳之島の黒糖と塩が使われている。徳之島は、鹿児島から飛行機で1時間ほど。周囲81キロの奄美では2番目に大きな島だ。
「せっかく話題になったから、徳之島の材料を使って、シリーズ化をしたいね。今度、徳之島に行くよ」ということで、澤畠さんが、パンの指導を行った加藤晃さん、ケーキの先生の木村さちこさんを伴って、僕の家族の住む徳之島に本当に来てくれることになった。
ところがパンを焼く施設がない。そこでうちの女房が思いついたのが、農業高校の加工施設を使うことだった。鹿児島県立徳之島農業高校は鹿児島で一番といわれるほどの設備を持っているのだが、生徒が減り、他の高校と統合されて、存続があやぶまれているのである。この機会に、生徒たちにも、農家や島の人たちにも、農業高校の設備の素晴らしさ、プロの仕事をみてもらいたいというのがあった。
高校で加工授業を担当する西山一志先生に連絡したら、正式な申請書類を出してもらえるなら大丈夫だという。西山先生も「パン焼きの授業をしているが、技術的にうまくいかないところがあるので、ぜひこちらも教わりたい」とのことであった。こうして、農業高校での授業と、徳之島の素材をさまざまに使ってのパンとケーキの試作という試みが実現したのである。
授業開催前日に高校に行って西山先生に会い、打ち合わせと準備をした。会場となる加工場の下見で、澤畠さんたち一行は仰天した。広々として、パン釜はもちろん、缶詰や、熱処理の機械など、さまざまな設備があったからだ。パンやケーキを焼く設備も十分揃っている。むしろ、全部使いこなせていない。澤畠さんたちは、メンテナンスも行った。
打ち合わせの後、農業高校の農場で栽培されている作物を見せてもらった。これは島にどんな素材があるかを知るためだ。パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、パイナップル、コーヒー、アテモヤ、パパイヤ、マンゴーなどがある。名前は聞いていても、実際に、植わっているのを観るのは初めてというものばかり。徳之島は、年間平均気温21度という亜熱帯だから、本土とは異なる農作物が育つのである。
次の日、早朝8時30分に農業高校に集まり、加藤さん、木村さんの指導でパンとケーキ作りが始まった。そこに「幕末アンパン」の黒糖を提供した徳南製糖さん、塩を作った松岡育代さんを始め、参加希望の女性人が数人、農家、保健所、役場、他の先生、取材陣の見学も加わっての作業が始まった。身近な高校なのに、加工場を見るのは、初めてという島の人たち多かった。
パンの試作は、島の黒糖を使ったメロンパン、幕末アンパン、アンパン、コッペパン。ケーキは、黒糖たっぷりのチョコレートケーキ、島の柑橘クヌゲー(島ミカン)を入れたチョコレートケーキ、ヨモギ、パッションフルーツ、紫芋、ピーナツ、ドランゴンフルーツなどを使ったさまざまなカップケーキなどが、行われた。
先生と生徒にパン焼きのポイントを話す加藤さん。手前は黒糖メロンパン。
島の素材とパンやケーキとの意外な組み合わせにみんな驚きの声があがる。黒糖をたっぷり使ったメロンパンは、香りがよく、黒糖のもつ植物の緑がほんのり出た。味もいい。パッションフルーツのケーキは香りと甘酸っぱさがあり、色合いが美しい黄色が出て、さわやかな味がする。ドラゴンフルーツは見事な紅色を出す。ヨモギのケーキは、徳之島の南国の香りが漂うほどで、鮮やかな緑色を放っている。それが加藤さんや木村さんの指導で、次々と素敵なケーキやパンになっていく。西山先生を始め、みんな食い入るように手伝いながら観ている。試食も大好評であった。
分かったことは、島の素材は、非常に個性的で、パンやケーキの加工でも、香りや色、味わいにも、素材の主張が活きるということであった。ということは、加工に向いているということだ。つまり、島では出荷できない、小さな果実や、ヨモギなどが、新たに商品化できる可能性をもっているということでもある。こういったことは、プロが参加しないと、なかなか見えてこない。そういう意味でも、素晴らしい試みだったといえる。しかも、加藤さんも木村さんも、気前よくレシピをみんなに公開してくれたのだ。
11時からは、高校生を迎えて、ふだん授業で行っているコッペパンに加えて、アンパン、メロンパン、幕末アンパンを加藤さんの指導で習った。みんな勢ぞろいをして、加藤さんの手順に従って、パンをこねて、成型をしてパンを焼いた。みんな真剣だが楽しそうである。西山先生も、プロの手並みと段取りを、メモをしながら、しっかり観察している。そうして、パンを焼いて、みんなで試食したのである。生徒たちに感想を求めると「これまでに食べたことない、おいしいパン」「もうぜんぜん味が違ってました」という感想が返ってきた。
パンの授業を終えて、生徒たちは、加藤さんたちにお礼の言葉をのべた。澤畠さんは、パンを本格的に習いたい人は、その職場を紹介できること。カンボジアや上海に、パンの技術を教える学校を作るので、参加したい人は、海外の道もパンを通して繋がっていること。幕末アンパンが、横浜のパン屋さん、小麦生産の山梨の農家との共同作業から生まれていることを生徒たちに伝えた。
生徒たちが作ったパンは、袋詰めをして、西山先生が、学校の外のハウスで直売を行い、一般の人にも披露を行った。西山先生は、横浜からのプロの先生たちの指導のもとに、徳之島の原材料を使って生徒たちが作ったパンだという言葉をそえて、一人一人に対面販売を行ったのだ。大人気で、あっというまに売れてしまった。
この学校での試作会は、大好評であった。「技術的に分からなかったことが、理解でき、生徒たちにも大きな刺激になった、ぜひまた行いたい」と西山先生。参加した人たちから「とても楽しかったし、ケーキやパンは、ぜひ島で商品化したい」との声が多く聞かれた。試作した素材は、今度は横浜に送られ、次の新しい商品開発の試みが、改めてスタートする。
2005年7月8日
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