第43回 地域の魅力を形に 福岡「ぶどうの樹」
福岡県遠賀郡岡垣にあるグラノ24K「ゆかいな果樹園 ぶどうの樹」(小役丸秀一代表)は、地域の農業・漁業と連携し、食を地域の活性化につなげた成功例として注目を浴びている。8000坪の敷地にはレストラン、パン工房、オープンカフェ、小さな動物園、農産物直売所や、寿司店、旅館、宿泊施設などがある。近くには畑や山も所有していて、果樹、野菜なども栽培している。また天神や小倉にもレストランを展開している。全体の売り上げは30億円。現在、社員70人、パート200人を雇用している。
場所は、小倉と博多のちょうど中間、JRかごしま本線海老津駅から車で10分ほど。目に前には玄界灘が広がっている。周辺は農地と新興住宅地で、とても多くの人が来ているとは思えない立地なのだ。人気の的の一つになっているのがレストラン。店内には、本物のぶどうを天井にはわせてある。ここでは結婚式も引き受けていて、その数は年間250組にもなるという。
結婚式場は、なんとビニールハウスの鉄骨で作ったというのだが、天井を高くして、白い布を蛇腹状態にして天井に吊るしてあり、床には紅い絨毯が敷いている。その隣がぶどうの下のレストラン。その横に庭がある。周りのカフェやウィンナーの体験工房など、すべて手作りという。しかも中古の資材を使ったというのだが、とてもそうは思えない。一流ホテル並みの雰囲気なのだ。
しかも結婚式がユニークで、式を挙げる人の希望を聞いて、個性のある手作りのものにしているのだ。「イチゴ農家の方の結婚式では、朝もぎのイチゴを持ってきてもらって食べてもらい、籠で配ったことがあります。タイタニックが流行ったときは、トラックとドライアイスで船のように(見せて)入場もしました。しゃんしゃん馬でというので、うちの馬で入場してもらったこともある。浴衣の結婚式もしました。要は、お客さんの夢をかなえて、すごく楽しくて、みんなが気軽に拍手ができる。両家の思いを入れることが大事だと思ってます」と小役丸さん。
かつてホテルや式場で行われていた、時間が決められ、式次第が決まり、料理から引き出物、お色直しまで、会場の都合で行われていた結婚式を変えたかったのだという。今では、手づくりの結婚式というのは珍しくなくなったが、かつては、本当にあいさつから親族の配置まで、会場にマニュアルがあって、パターン化された結婚式が圧倒的だったのである。そんな形式をぶどうの木の下で、カジュアルな結婚式を実現させたのである。それが若い人たちをひきつけた。
朝食メニュー。パンもウィンナーも工房で作られたもの
レストランには年間15万人も来ているという。そのほとんどは女性客だ。圧倒的な人気は、地域食材をふんだんに使ったビュッフェ形式の料理の素晴らしさだろう。料理は80種類があり、自由に選んで食べることができる。それも新鮮で美味しい。素材の持ち味が生きている。料理の素材は、地域農家約30〜40戸と取引しているのだが、どんな小さな農家の少量の農産物も引き受けて使っている。
市場に出せない曲がったキュウリや、形の悪いトマトも引き取る。しかも値段は農家がつけるのである。毎朝9時に、車を出して農産物を集める。高齢者の少量の農産物も車で回って、引き受け使う。このおかげで、高齢の農家で農業をあきらめていたのが、農業を再開した人までいるほどだ。レストランの側では、直接農産物を販売できる直売の場も設けている。農家で取引の多い人は1月100万円を売っている人もいるほどだ。旬と安全と地域を優先している。
地場の旬の農産物や魚を使うとなると、メニューが優先ではできない。そこで食材を優先し、その代わり料理を工夫をして、1カ月半ごとに1回、メニュー開発をしているのである。それも毎回農家も参加する試食会を開催している。1回に登場する料理は120種類近く。その3分の1が実際にお客さんに出すことになる。こうすることで、農家は料理を学び、料理家は農家の農産物を知るというわけだ。交流をすることで、農家が料理人の意見を聞いて、新しい農産物を栽培をしたり、料理人が農産物を知って料理を開発したりと、新しい息吹を吹き込んだのだ。
小役丸さんの家は、小さな旅館を経営していた。かつてバブル時代に会席料理で宴会が接待で行われ、食べない料理がたくさん捨てられる場面を嫌というほど見てきたという。「余ったエビフライ、茶碗蒸し。一生分食べましたね(笑)。しかし接待や宴会のお客さんの年代も次第に高齢化して、だんだん宴会客も減ってくる。差しつ差されつというお酒の飲み方も、若い人は敬遠する傾向が出てきた。一方で、地域しかないもの、ここだけしかないものを求めるお客さんさんが、出てきていました」という。
一方で、近くに農家があって、出荷できない規格に合わない農産物が大量に捨てられていくのも見てきた。地域にいながら地域の食べ物が生かされない。食べる方も、作る方も、たくさんの食べ物を捨てている。これがどうにかならないのか。ヒントとなったのは、ニューヨークで見たビュッフェスタイルだった。そうして平成13年、地域との連携によるレストランに、旅館の食事を切り替えてしまったのである。
地元にどんな食材があるのか。改めて地域を見て回ったという。そうすると地域にいろんなものがある。規格外や形が悪いものも十分に生かせるとわかった。現在、食材の9割は地元で調達している。これによって、コストを2割安くすることができたという。地域の旬の食材を使ったビュッフェ形式の料理は評判となり、ぶどうの木のレストランや、地元の魚を使う寿司店などが、次々生まれていった。地域の魅力を形にする。その夢は、まだ続く。(ライター、金丸弘美)
2006年2月16日
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