第44回 昔ながらの釜炊きの純黒糖 鹿児島・徳之島
奄美諸島・徳之島に家族が移住して、初めて知ったのが、サトウキビから作られた黒糖の本当のおいしさだ。できたての黒糖は、まぎれもない太陽の香りがする。色合いは黒紅色といった感じ。深いこげ茶のような色なのだ。味は甘いというより、酸味や苦味を持っている。苦味のあるチョコレートに近いかも知れない。純粋の黒糖は、意外やコーヒーにとてもマッチングする。
黒糖はあちこちで売られている。沖縄でも奄美でも鹿児島でもおみやげで販売がされている。しかし、ほとんどは水飴や砂糖や、炊きなおしといって余ったものを混ぜるもの。純黒糖となると、滅多に手に入れることができない。純黒糖とそうでないものとでは、味わいが雲泥の差なのだ。味の深さが相当に異なる。
黒糖に旬があることを知ったのもサトウキビ畑に行ってからだ。サトウキビの収穫は冬場から春で、このごろになると島中でサトウキビ刈りが一斉に始まり、山のようにサトウキビを摘んだトラックが畑から工場へと走る。工場では、サトウキビを搾り、それを釜に入れて炊くのである。
もっとも昔の黒砂糖を作るには手間もかかり、ほとんど作られなくなっている。昔ながらの釜炊きの純黒糖を作っているのが、徳之島の犬田布(いぬたぶ)にある徳南製糖という小さな工場だ。トタン屋根の薄暗い工場で、大きな年季の入った黒光する木材で支えられた戦後間もない頃に建ったところだ。
道路に面した斜面を利用して建っており、工場内は階段状になっている。平地の少ない島ならではの光景だ。小さな事務所の横には刈ったサトウキビを畑から直送するトラックが横付けになり、その傍らにサトウキビが山のように積み上げてある。
刈り取られたサトウキビ。これを搾ったキビの汁を煮詰めて黒糖が生まれる
サトウキビは、イネ科の高温多湿を好む植物で、竹のように節があって、背丈は2メートル近くもある。見た目はトウモロコシとそっくり。潮風や台風にあたって、くねくねと曲がって育つのだが、それでも強くて丈夫に伸びる。これを鎌で刈り、余分な葉を落として束ねるのである。それが刈られてすぐに工場に運ばれるのだ。機械(ハーベスター)で刈るものもあるが、短く切られるものは、歩留まりが悪く、酸化が早く、味がかなり落ちるとのこと。だから、美味しい黒糖を作るには、手で根元から長いままに刈り、すぐに黒糖にすることが必要なのだという。
収穫されたサトウキビは、工場の入り口にある大きなローラーのついた圧搾機に入れて汁を絞りだす。男性がサトウキビをローラーに送り込み、女性がローラーにつきっきりで送り込みの補助をする。ローラーの下からは、とろりとした白い液がたまり、これが工場の方の釜へと流れていく。
煮詰めるための釜は四角で、それが4つ繋がっていて、釜の下から薪やサトウキビの絞りかすを使って炊きあげる。まず、焚き口に一番近い釜に、サトウキビの搾った液が流れ込む。そうして、絞った汁を固めるための石灰汁をカップ一杯ほど足して釜で炊いて、少し煮詰まってきたら、次の釜にえしゃくで移し変え、また煮詰まると移し変えと、釜の上の方、つまり煙突の方に、順々に送っていくのだ。そうすると4つめの釜に移動した頃には、かなりどろりとした黒い塊になる。
煮詰めたものを扇風機で空気を送りながら、回転する歯のついた乾燥機械に入れて乾燥させると、やがて黒砂糖の塊になってくる。これを大きなステンレスのテーブルに流して、適度の大きさに包丁で切ってできあがりである。あるいは手でちぎって、塊にする。このときの黒糖はアツアツである。アツアツの黒砂糖というのも、工場で初めて食べた。これは、まるでお餅みたいにびゅーんと伸びる。これがとてもうまみがあって口中が幸せになるほどの美味しさだ。
島では、黒砂糖は料理に使ったり、ふだんのお菓子代わりにも食べられてきた。徳南製糖のある伊仙町は、泉重千代さん、本郷かまとさんというギネスに載った長寿者が生まれ育った町。泉重千代さんは、黒糖や黒糖焼酎が大好きだったという。現地のできたての黒糖を食べると、こんなに味わい豊かなものだったかと、黒糖のイメージががらりと変わるような味わい。長寿の秘訣の食材が、納得できるというものだ。
地元の黒糖だけを使った焼酎が飲みたいものだと思っていた。というのも黒糖焼酎の原料は、フィリッピン、インドネシアを始め東南アジアからのものがほとんどで、奄美の黒糖を用いたものは1割しかない。ところがそんななかで最近オリジナルなものが誕生した。徳南製糖の黒糖を使い、奄美大島の富田酒造場で製造された「まーらん舟」である。とろりとした深い味わいのある黒糖焼酎。そこには、まぎれもない、奄美の太陽と海風の香りが漂っている。
2006年2月23日
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