第70回 “地域循環型”の酒屋さん 佐賀・山田商店
佐賀市の元気な酒屋さんがあると教えてもらったのが、佐賀駅からバスで10分ほどの、佐賀城跡の堀のそばにある「地酒処 山田酒店」である。堀沿いの住宅街の2階建ての木造建築。木製の看板が建っている。店内は15坪。決して広くはない。木を生かした清潔なつくりで、棚には日本酒、梅酒、焼酎がずらりと並んでいる。地元佐賀県の「富久千代酒造」「窓の梅」「天山」「天吹酒造」など、7つの蔵を中心に日本酒だけで50種類ある。地域の酒店というと、ありがちなのはビールや焼酎やワインの、どちらかというとナショナルブランドが並び、そこにつまみ的な食べ物が並ぶ、という店舗が少なくない。ところが、山田酒店は、まったく品揃えが違った。
佐賀のお酒を中心に九州の酒があり、地域の人たちに愛され、酒蔵や飲食店でも評判なのだという。しかも売り上げはなんと1億2000万円。4年前から売り上げが毎年伸びているという。店は店主の山田晃史(やまだ・こうじ)さんと奥さん、パート3名で運営しているという。どこの商店街も元気な店がないといううわさがあるなか、山田酒店は、まったく違った。店主の山田さんは、37歳。現在、3代目になるという。お酒のことの話よりも、なぜ小さな酒店が繁栄しているのか、そちらの方が知りたくなった。
先々代は、佐賀の大和町で、飴(あめ)屋さんを開いたのだという。その後、大和町が洪水にあって、佐賀市に越してきた。お父さんの代に八百屋さんと酒屋さんに分け、酒屋さんを営むこととなった。山田さんが、お父さんの店を継いだのは15年前。それまでは鳥栖の東芝家電部に勤めていた。当時は、卸やメーカーからの借金があり、マイナスからのスタートだったという。「当時は、卸さんがお金を貸したりしたんですね。とても苦しい時代。500万円の借り入れがあったんです。コンビニにするかつぶれるしかないといわれていた。お酒は久保田がはやった時代でした」という。
山田さんが後を継いだのは、育てられた店で恩返しをしたいと、考えたからだ。日本酒、それも地元佐賀県を中心とした専門店となったのは、10年前だった。「鹿島の富久千代酒造の飯盛直喜専務に拾っていただいた。門司に田村本店という店があり、そこに連れて行ってもらった。それをきっかに専門店になったんです。田村さんには、飲食店での手伝い、チラシの書き方など、地域の循環をつくるありかたを教わりました。当時は、うちは昔の作りで戸さえなかった。戸のつけかえ、ファン作り、料理店の開拓、ギフト、内装、外装、手書きのチラシ作り、それこそアドバイスされたことをすべてやりました」と山田さん。
当時は、佐賀が酒どころでありながら、地元のものを売るところがなかったという。地元を愛する人と、地元の蔵を見方につければ生きていけるかもしれない。酒蔵の限定品を仕入れ、チラシを書き、そうして地域の家を一軒づつ回った。120本販売して住所録を作り、それからDMを出す。一方で日曜大工で、店舗を改装する。のれんをつける。手作りの味わいを出す。と、一歩づつ店作りを行った。
そのうちに蔵元から「佐賀で頑張ってくれている」「酒は山田で買ってやってくれ」と、応援をしてもらえるようになった。蔵元はもちろん、飲食店からも口コミで地元のいい酒があると、広がっていった。当時は、蔵元も苦しい時代。いいものをつくらなければ生き残れない。蔵元の新しい酒造りと、山田さんの開拓精神と、ファン作りの歩調が揃い始めた。こうして少しづつ広がり始めた。「続けると頑張れた。銘柄の力もあって、伸び始めたんです」という。
山田さんの酒店は、ただお酒を売っているのではなかった。伸びている裏側には、蔵元との研究があった。月一回の勉強会や試飲会、お客さんを呼んでのお酒の会などが、行われていたのだ。なかでもユニークなのが、店では扱っていないが、他で売れているお酒の試飲会である。「いろんな銘柄を飲んでいないとお客さんとトークができない。かりにうちにないお酒を求められたときに、他の銘柄を飲んでおけば、では、佐賀ならこちらのお酒がお勧めですと、言うことができます」
山田さんは蔵元にも訪ねる。蔵元、地域の農家の米作りから知って、お酒を販売する。「いいものを作れば地域が豊かになる。農家も蔵元も飲食店もうちも豊かになれる。そんな循環型の店作りができればと思います」。山田さんの店作り、そうして地道に築き上げてきた地域連携は、まさに商店街活性化と地域作りのお手本と、いってもよさそうである。(ライター、金丸弘美)
地酒処 山田酒店
佐賀県佐賀市赤松町7−21
電話0952−23−5366
2006年9月9日
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