第3回 冬の田んぼに水を張ったら鳥やカエルが帰ってきた
宮城県の仙台から北へ50キロほどいった田尻町の田んぼには、マガン、白鳥、サギといった鳥や、どじょうや、カエルなどが、たくさんやってくるのをご存知だろうか。田んぼは「冬期湛水水田(とうきたんすいすいでん)=ふゆみずたんぼ」と呼ばれている。この田んぼには、10年前、まだ一軒の農家が試みを始めた頃から毎年見学に行っているのだが、冬に田んぼに白鳥たちがやってきたのを目にしたときには、びっくりしたものだ。当時は、田んぼに水を張って鳥が戻るなんてにわかには信じられなかったのである。昨年は6月に田んぼを訪ねたが、カエルが無数にいるばかりか、絶滅危機種のニホンアカガエルも戻ったと知って、自然の力の素晴らしさに仰天したのだった。
そして現在12軒の農家が取り組んでいる。生き物がたくさん戻ってきた田んぼは大きな注目となり、東北大学、宮城大学を始め、日本雁を保護する会、田尻高校、田尻町、農家、県などが連携して、田んぼの生き物調査などを行い、鳥の戻る仕組みが具体的に明らかになった。そうして環境省、農水省までが重視する循環型農業の最も先端の拠点となりつつある。さらに鳥たちがやってくる蕪栗沼(かぶくりぬま)とともに周辺の田んぼが、ラムサール条約(鳥などが生息するために必要な干潟や湿地、沼地を守る国際的な取り決め。144か国が参加)で、指定地としても国際的な大きな評価を得ようとしている。
宮城県の田尻の近くには伊豆沼・内沼(いずぬま・うちぬま)というラムサール条約が認めた多くの鳥たちがやってくる沼地がある。田尻町には蕪栗沼(かぶくりぬま)という沼地があり、ここを中心に日本雁を保護する会の呉地正行さんや、当時仙台科学館(現・田尻高校教諭)の岩淵成紀さんや、町の人たちが集まってきた。蕪栗ぬまっこくらぶや農家や役場の人たちが、蕪栗沼の生態の調査を行い、オオヒクイ、カナダガン、ヨシゴイ、オオハクチョウ、コハクチョウなど陸鳥91、水鳥122種類が生息することを明らかにした。1996年のことである。蕪栗沼は、400ヘクタールあったものが埋め立てられて100ヘクタールとなっていた。この生き物調査の後、50ヘクタールの田んぼだったところが、国有地であったことと、減反が始まり、また水害も多かったことから、沼地として戻された。そこには、多くのマガン、ハクチョウが飛来したのである。
そんな中、田んぼを耕さないで稲作りを行い(不耕起栽培=ふこうきさいばい)水を張るという田尻の農家の試みが始まったのだ。当時は大変な冒険だった。というのも田んぼに鳥が来ることは農作物を荒らすと思われていて、田んぼに鳥を戻すこと自体が困難だっのである。ところが一軒の農家の試みた田んぼに白鳥の戻ったことはマスコミの注目をあび、またお米は一般の消費者に高い評価を受けて売れたのである。そこから徐々に認知が広がり始めた。そうして呉地さんや、岩淵さんたちが、農家や有志の人たちと田んぼに戻ってきた鳥の飛来の軌跡を調べたり、田んぼの生き物調査を行い、自然環境が呼び戻される仕組みを科学的に裏づけをとって、発表を始めたのである。これは現在の自然環境の保全や循環型農業の新しい事例として大きな話題となった。
冬に水を張るとイトミミズが多く発生して自然に田んぼを耕すことや、その糞によって雑草の種が沈み雑草の抑制効果を生むこと。白鳥の糞には農家が購入している肥料のリン酸があり、自然供給されること。カエルを始めクモなどの種類が増えて、彼らが農薬をまかなくても害虫をせっせと食べていること。水田でワラが分解され藻類が増え、植物プランクトン、動物プランクトンが激増し、それらが多くの生き物たちの餌となり、さまざまな生物が増えること、などといったことである。科学者や鳥の専門家、大学などが農家と連携して初めて生まれた成果といえよう。
これまでごく一部の有志の取り組みだったものが、ここ3年で一挙にネットワークが生まれ、大きな広がりとなった。昨年から田尻町では、冬期湛水水田に取り組む農家に対して10アールあたり1万円の補助金も出すことが決まった。田尻には、今年、東京を始めとする首都圏の人々も田んぼに訪れ、呉地さんや岩淵さんたちの指導で生き物調査と冬期湛水田の観察を行った。そうして都市と連携して安心安全なお米として相場よりも高く販売されることが決まり、それによって地域が永続的に環境を守り、農業が持続的に営めるという仕組みづくりまでに大きく発展したのである。
冬期湛水水田とは、冬場に水を張っている田んぼのことである。それに除草剤といった農薬を使用しない。現在のほとんどの田んぼは、除草剤や防虫剤などの農薬を使用する。秋になると水を抜いてしまい機械で刈り取り、そうして冬場には完全に水を抜いてしまうのである。これを乾田(かんでん)という。このために、メダカやドジョウやタニシといった水辺の生き物は、田んぼから消えてしまった。また白鳥のように水を必要とする生き物、サギやトキなんどのようにカエルやドジョウなどを食べる鳥類も田んぼにはいなくなったのである。また田んぼ周辺の水路はコンクリートの3面張りになっており、田植えのときに一気にパイプラインで田んぼに引き込むように整備されている。このためかつて土の水路に生息していたメダカ、ホタルを始めとする、田んぼに行き来していた生き物もほとんどいなくなってしまったのである。
ところが、今回田尻に訪ねたところ、コンクリートの一部に穴をあけ田んぼと小川を繋ぐ魚道をつけることが県の圃場整備事業部(ほじょうせいびじぎょうぶ)の手で行われていたのだ。圃場整備というのは、これまで田んぼを整地整備しコンクリートの水路を作ってきたところなのである。ところが現在環境を配慮した取り組みが必要との法改正もあって、田尻ではまっさきに生き物を呼び戻す実践に取り組んでいた。魚道とは階段状の通路作ってやりそこに田んぼから水を流すと、水路を伝ってメダカやドジョウが川から登ってくるのである。これは信州大学を始めいくつかの大学で研究されていたものだ。それがしっかり実践されていた。
現在、冬期湛水水田は、田尻周辺の地域の農家を始め、新潟県の佐渡島、千葉県佐原市、茨城県など各地で試みが始まっている。これが広がれば、高度成長期に埋めた立てられた湿地の変わりに田んぼが生かされ、鳥たちの飛来地が増えて、自然生態が呼び戻せる。人と自然が共生できる環境が広がるなどが期待されているのである。
田尻で冬期湛水水田を試みる農家(撮影:荒尾稔さん)
2005年4月28日
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