第29回 徳之島の長寿の塩「伊仙のあら塩」
奄美諸島・徳之島に家族が移って、まもなくのころ、妻が「素晴らしい塩が、サンゴ礁の海岸にある」と、まるで宝物を見つけたように興奮して話しだした。そうして連れて行かれたのがミナトバルという海岸である。ずっと広がるサトウキビ畑を抜けて、海岸の方に降りると、珊瑚が隆起してできた大きな岩の下に、抜け道があって、そこをくぐると、目の前に珊瑚が隆起した海岸、その向こうに海が広がっている。
そこは自然にできた珊瑚の岩場にいくつもの潮溜まりがある。海水が岩場に波しぶきをあげ、いくつもの陥没したサンゴ礁の潮溜まりに海水が溜まるのである。海水は奄美の暑い太陽で照らされて、自然に蒸発する。やがて濃い海水となり、岩の周辺には自然に塩ができる。それだけでは塩はたくさんできないので、潮溜まりから柄杓(ひしゃく)で海水をすくい、熱くなった周辺の石に海水を掛け、焼けた石で水分を飛ばして海水の濃度を高める。そうして、太陽の熱と珊瑚でできた岩場の中に溜まった濃い海水を陸側の潮溜まりに徐々に移していくのである。こうして濃度の高い灌水(かんすい)にするのである。
潮溜まりに溜まった海水を周りの珊瑚の岩にかけて水分を蒸発させる
濃い海水を鉄製の大きな二つの釜で、薪を使って塩を炊く。一つの釜は煙突の方にあり、汲んできた海水を入れておき濃い海水にしていくもの、もう一つの釜は炊き口の方にあり、こちらで濃い海水を煮詰めて、塩を炊き上げる。約3時間して海水が煮詰まり、結晶の塊ができる。炊き上がった塩は、大きなサラシに包んで、上から吊るし、含まれている水分やニガリを自然に落とす。そうして遠心分離機をつかい、さらに水分を落として、ようやくできあがる。これだけ時間がかかるのも、自然の海水には約3%しか塩が含まれておらず、食用の塩を得るためには97%の水分を取り除かなければならないからである。
徳之島は太平洋と東シナ海に面する奄美諸島では2番目に大きな島だ。海はどこまで澄んでいて、さまざまな青色をちりばめたような美しい情景が広がる。ここで作られていたのがサンゴ礁からの塩だ。なめてみると味わいが異なるのですぐ違いがわかる。少し甘みがあって、塩辛さだけではなく、うまみがじんわり広がる。これは海の成分にあるカルシウム、カリウムをはじめ、鉄分、亜鉛、マグネシウムなどの微量栄養素もたくさん含んでいるからだ。そうして微妙な海の香りもする。
サンゴ礁の塩溜まりの水本美枝子さんと松岡隆太郎さん親子
昔ながらの塩を作っていたのは、76歳になる水本美枝子さんだった。水本さんに「なぜ、手のかかる塩を作るのか?」と尋ねてみた。「東京に住んでいる孫がアトピーで、自然の塩が体にいいと聞いて、戦前、父親が作っていた塩づくりを思い出し、みようみまねで試してみた」のだという。その塩を舐めてみると、まろやかでうまみと甘みがほんのりある。いい感じの塩だった。僕が知っている海水からの塩、お気に入りの沖縄の「粟国の塩」に近かった。
これこそが世界の長寿者でギネスに載った徳之島の泉重千代さん、本郷かまとさんが使っていた長寿の塩なのだろう。というのも水本さんが住んでいる徳之島の伊仙町は、まぎれもなく泉重千代さん、本郷かまとさんが生まれた町なのである。実は、この伊仙町で2004年に1200人の65歳から100歳までの食の調査を行った。そのときに、長寿の人たちに昔の塩をどうやって入手したかを何人かに尋ねたことがある。すると海側の人は、海水から薪で炊いて塩を作っていたという。山側の人は海側の人の作った塩と農作物とを交換して入手していたという。その塩で、味噌作りや豚の塩漬けをしたという。
昔の人たちの使っていた塩は、現在、一般に使われる塩とは、味もミネラルもまったく違っていた。というのも塩は、1971年に、それまであった塩田が廃止され、国内6工場の海水を特殊な膜を通して濃縮し蒸気で炊いて作る工業化された「膜濃縮せんごう塩」と呼ばれる塩化ナトリウムを純粋に抽出したものに変ったからだ。一般に使われている塩は精製塩と呼ばれる。これは徳之島の塩と比較してみるとすぐわかる。見ためも味もまったく違うからだ。精製塩はさらさらしていて、塩辛いだけである。最近、明治以来の専売制であった塩は自由化され、これまでの工場の塩以外に、日本各地で昔の塩作りが復活した。だが、まだ食用の塩の4%程度にしかすぎない。
徳之島の塩は、しかし島の人たちにも忘れさられて、ほとんど作る人も使う人もいなくなっていた。目の前に美しい海があり、素晴らしい塩の源があるのに、本土から輸入された精製塩が使われているのだ。水本さんの塩が、もっと知られて、普通に使われるようになるといいのに。そんな思いであちこちに伝えたところ、横浜のパンの機械を扱う櫛澤電機の澤畠光弘さんが、仲間のパン屋さんたちに働きかけてくれ、徳之島までやってきてくれた。そうして、最近、「伊仙のあら塩」として商品化され、横浜を中心に販売されるようになったのである。(ライター、金丸弘美)
2005年10月28日
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