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ゆらちもうれ
「ゆらちもうれ」は、奄美・徳之島の言葉で「ゆっくりしていきなさい」という意味です。 ちょっと一休みして、食の現場からの直送レポートを楽しんでいただけたらと思います。
2005年 2006年 2007年 
4月11日第1回 本当のスローフードを実現 幕末アンパンプロジェクト
4月21日第2回 祭りは食と文化との融合
4月28日第3回 冬の田んぼに水を張ったら鳥やカエルが帰ってきた
5月5日第4回 築地の「場内市場」ツアーでマグロの競りを体感
5月12日第5回 千葉で里山体験 充実した内容にびっくり
5月19日第6回 きっかけは悪臭問題 都市で食育活動を展開する牧場
5月27日第7回 さいたま市で田舎暮らし体験はいかが
6月1日第7回 埼玉の有機農場 日本が抱える問題の処方箋がここに
6月10日第8回 菜の花栽培はゴミのリサイクルから 鹿児島・大崎町
6月15日第10回 町ぐるみで町づくり 大分・竹田市
6月27日第11回 合併でさらに豊かな市に 大分・竹田市その2
7月1日第12回 幕末アンパンの材料「北斗の小麦」
7月8日第13回 「幕末アンパン」一行、徳之島に行く
7月14日第14回 新技術を使って自然循環型農業を実践 佐賀の天地農場
7月21日第15回 教職員対象の食育セミナー
7月28日第16回 子どもたちと塩とご飯のティスティング
8月4日第17回 「食」を軸に村の個性が商品に 佐賀・七山村
8月11日第18回 農家を軸にプロの料理人と子どもたちが交流
8月18日第19回 塩にこだわる人はおいしい食を知る人 粟国の塩
8月25日第20回 佐賀から食文化を発信 オリザ・ジャポニカ・クラブ
9月1日第21回 取れたての魚が並ぶ寿司屋 福岡「鮨屋台」
9月9日第22回 年間19回の体験教室 岩手・ポラン農業小学校
9月15日第23回 スローフードにぴったりな街 飛騨市古川町
9月23日第24回 オーガニックをプロモーション イタリア有機農業協会
9月30日第25回 楽しみなくじら食文化を守る会の集い
10月6日第26回 地元食材を使った充実給食 佐賀・唐津
10月14日第27回 終わりから始まった酒造りとパッチワーク展 福岡・久留米
10月20日第28回 日本初、カルチャーセンター方式の体験農園 東京・練馬
10月28日第29回 徳之島の長寿の塩「伊仙のあら塩」
11月3日第30回 サフラン栽培100年 大分・竹田市
11月10日第31回 100人分の料理でもてなす 故郷の祭り「唐津くんち」
11月17日第32回 懐かしい味、水飴作り 岩手・千厩
11月24日第33回 「給食まつり」を見に行く 佐賀
12月1日第34回 食の国あきたの郷土料理がいっぱい
12月8日第35回 伝統的なしょっつる作りの現場を訪ねる 秋田
12月15日第36回 100歳超の蔵で作られる地酒 秋田
12月24日第37回 正月飾りつくりを体験 都内で500年続く農家
このページの記事は、2005年4月から2007年3月まで、全国の食をテーマにした各地の新しい取り組みを「毎日新聞」のデジタルメディア「ゆらちもうれ」で、毎週、写真付きで紹介したものです。
第31回 100人分の料理でもてなす 故郷の祭り「唐津くんち」
秋になると最上の味となる茹でたツガニ(モクズカニ)

 毎年、秋になると帰るのが僕の故郷の祭り「唐津くんち」である。くんちとは「供日」からきた言葉で、神様に供えるという意味である。その日には、町内の多くの家では、盛大なもてなしの料理を作る。1年間お世話になった人や親戚を招いて、お礼をするのである。我が家でも例外ではなくて、うちの母の姉妹のいちばん末っ子の高田多恵子叔母が料理を指揮し、他の叔母や従姉妹などが手伝って、料理を作る。およそ百人分にもなるだろうか。

 作られる料理はさまざまだ。凍りコンニャクや蒲鉾やシイタケや鶏肉などを出汁で煮て卵でとじた玉子とじ。秋には最も味ののるツガニ(モクズガニ)の生きたものをぶつ切りにして炊きこんだ蟹飯。笹栗を入れた栗ご飯。タラの胃、ごぼう、昆布の含め煮。白花豆の砂糖煮。渋皮栗の甘煮。酢豚。とらはぜの三色蒲鉾。海老と白身魚、エソの五色揚げ。ぶりの照り焼き。ハマグリの塩焼き。ごぼうのきんぴら。ツガニやサザエ。サトイモの煮たもの。鯨の刺身。鯛の姿煮などが鉢や大皿に並ぶ。我が家の自慢はすべて材料から探して手作りをするというものだ。

くんち料理を堪能する料理家の田沼敦子さんと冬木れいさん

 今年は、料理家の田沼敦子さん、冬木れいさん、パッチワークアーチストの山口怜子さん、アイガモ農法の古野隆雄さん、三重県のモクモク手づくりファームの木村修社長、吉田修専務、高知県の馬路村の柚子加工品の仕掛け人の一人、松崎了三さん、福岡のぶどうの木の小役丸秀一さん、スローフードアワード受賞者の武富勝彦さん、古川康佐賀県知事など、日本の食文化のそれぞれの代表的ともいっていい人がやってきてくれた。そうして絶賛し、なにより楽しんでもらえた。

 料理の盛大さ、その豪快ぶり、大皿にもった料理の数々に、みんなが驚く。我が家の料理は叔母の高田多恵子が、昔からあった料理を我が家で復活させたものだが、もう30年以上続いている。叔母は、お祭りの一カ月以上前から、材料から探して、吟味をして、料理を考える。というのも数が多いから早めに手配をしておこないと、材料が揃わないからだ。

 料理は、唐津くんちのメインである11月3日の前日、2日の前夜祭のときから仕込みが始まる。2日には、叔母や従姉妹がかけつけ、数人で料理を作るのだ。そうして3日の早朝から料理を再び作り始め、お昼には、盛大な料理ができあがる。我が家の叔母の料理は、いつも見事だ。これまでも音楽家の渡辺貞夫さん、挿花家の二部治身さん、作家・演出家の高平哲郎さん、写真家の英伸三さん、プロデューサーのエィミィ加藤さん、エッセイストのマーガレット・プライスさん、作家の森まゆみさんなども来てくださった。

 僕は叔母や母や従姉妹たちのおかげで、いろんな方々に1年のお礼を言うことができ、祭りをきっかけにさまざまなコミュニケーションを生み出している。これがお祭りの素晴らしいところだ。唐津くんちに、料理を作るのは、我が家だけではない。町内の町々の家では、どの家でももてなしの料理を作るのである。僕は、地域に知り合いも多いこともあって、あちこちの家に呼ばれて、あがりこんでは、食事を楽しむことになる。ときには、知り合いを連れて何軒かを巡ることもある。また楽しいのが、あちこちで昔の友達に再会したり、知り合いの子どもの成長に驚いたり、家人がもてなした人々を紹介されたり、といろんな出会いが生まれることだ。

 料理は家庭によってすべて異なる。それが面白い。それと、どの家も唐津くんちのために、仕切った襖を外して、大きな広間を作り、その家なりの最大の料理を作るのである。家々の料理や室内を見るだけでも楽しい。というのも唐津は江戸からの町だから、家によっては、代々の料理があったり、江戸からの大皿や鉢などが使われていたり、大きな中庭があったり、古い置物があったりするのである。昔は、炭火で焼いた鯛の浜焼き、鯨などが並んだ。

唐津くんちの金丸家の料理。イカ、ゴボウの牛肉巻、筍、エビ、サザエなどの大皿

 料理は、一家の主婦が中心となって、姉妹や娘や、家族の女性陣、それに親戚も加わって料理をするところが少なくない。この料理のために、材料費を1年前から貯めておくのである。唐津くんちは、かつては唐津市の町内だけでなく郊外の神田、町田の農村部まで、手作りの料理を作りお祝いをした。それに農村部の野菜類や漁村の魚介類がふんだんに使われた。つまりくんち料理とは、1年間のお礼であると同時に、五穀豊穣を祝う秋祭りに神を迎え供え祝福を受け、繁栄を祈る料理であるのである。まさに地域の繁栄を象徴していたし、もっと旬が揃った、いちばんのご馳走でもあった。

 しかし、最近は商店街がすたれ、また農村部は住宅街となり、くんち料理をするところがめっきり少なくなった。それでも手作り料理を残そうとというお母さんたちもいる。食べておいしいと言われることが、またお母さんたちの喜びでもあるのだ。

唐津くんちの山車(曳山と呼ばれる)。10番曳山上杉謙信の兜

 唐津くんちは11月2、3、4日(昔は10月29日だった)に行われる佐賀県唐津市の秋祭りだ。11月2日から3日にかけての深夜、神社で神様がお神輿に移られるお宮移しが行われる。そして11月3日に、お神輿を間に14台の漆の曳山(山車)をお供に町内を巡行する(神幸祭)のである。

 唐津くんちで有名なのは、江戸末期から明治初期に作られた和紙を何枚も張って漆で塗った(一閑張り)華麗な14台の山車だろう。けれども唐津くんちの醍醐味は、実は各家庭で作られるくんち料理にある。このくんち料理には2つあって、3日に御輿と山車が浜辺に行く(御旅所神幸=おたびしょしんこう)ときに、浜に幕を張って、町内で食事をする浜弁当と呼ばれるもの。そして各家庭で作られる料理である。どの家でも50人から100人、多いところは300名分もの料理を作り、1年間にお世話になった人、仕事の取引先、親戚、友人・知人を呼んでもてなす。多くの人を呼べるのは繁栄の証であり、また多くの家に呼ばれるのは、幸の多いということになる。

 僕はこの唐津くんちの慣習は素晴らしいと思う。しかし、地域の食材がつかわれなくなったり、料理が仕出屋さんに頼まれたり、街並み景観がビル化で形骸化したりということで、地域性が乖離し始めている傾向もみえる。今、もう一度、街並み、食文化、祭り文化を再構築し、全体から町と祭りを考えるときではないかと思っているのである。それこそが、本来の町づくりと思うからだ。(ライター、金丸弘美)

 2005年11月10日