第35回 伝統的なしょっつる作りの現場を訪ねる 秋田
前からずっと行ってみたかったところに秋田の「しょっつる」がある。もうずいぶん前に、秋田の出版社で、全国に知られる無明舎の安倍甲さんから、しゅっつるをお土産にもらったことがあって、それを鍋に用いると絶品であった。どんな料理にでもいい。そのときにしょっつるが、魚からできる漁醤であり、調味料であることを知った。
漁醤といえば、タイのナンプラ、石川のいしるがあるが、基本的には同じである。しかし、九州生まれの僕には初めて接するもので、馴染みのなかったものだ。以来、どんなところでできるのか、気になっていて、一度、現場を訪ねたいと思っていたのである。
思いをかなえてくれたのは、秋田県農林水産部流通経済課の「食の国あきた推進チーム」の吉尾聖子さん。秋田県は、秋田の食をプロモーションする専門の部門が作られていると知ってびっくり。本当は、秋田県でスローフードの部門を設けようとの構想もあったそうだが、スローフードがイタリアのNPO団体であり、支部規定で特定の団体が支部を作ることを禁じているために断念したのだという。しかし、県知事も含めてイタリアのスローフードも視察したこともあって、吉尾さん自身が、スローフードの活動にはとても詳しい。
彼女が案内してくれたのは、日本海側の男鹿市船川港船川にある「諸井醸造所」の諸井秀樹さんであった。諸井さんは、あきたスローフード協会の中心メンバーであり、実は2004年10月にトリノで行われた「テッラ・マードレ」という世界141カ国4500名が参加した世界生産者会議で、秋田の漁業と「しょつる」のコラボレーションについて発表を行っている。このなかで、諸井さんは、漁獲が極端に減ったハタハタ漁が、平成4年からハタハタ漁を漁民が3年間禁止したことで、次第に回復がみられたこと。それによって、伝統的な魚醤のしょっつるを、作ることができたことを話したのだという。
諸井さんとは、実はトリノで会っている。そのときからずっと気になっていたので、吉尾さんの案内で再会できたというわけだ。諸井さんの「諸井醸造所」は、木造家屋のどっしりしたたたずまいで、もうその雰囲気に触れただけで、ここに来てよかったという気分になった。昭和5年の創業だそうで、醤油、味噌、漬物が本業。ここで、しょつるが生まれているのだ。諸井さんの案内で奥の蔵に案内されると、醸造のなんともいえない、麹の香りに似た優しい空気が漂っている。中には、小さな樽がいくつも並んでいる。樽の間の隙間を埋めるように木の板がはめ込んであって、樽がのぞけるようになっている。そこには、黒紅梅色といったしゅっつるが仕込んであった。
「本格的に始まったのは平成7年からです。しょっつるは、イカでも鰯でもいい。でもハタハタで、全部やってみようと試みた。ハタハタが取れるようになって、平成11年には30トン仕込みました」という。諸井さんが、タンクの上の方をかきまわすと、黒紅梅色のしょっつるは、また別の紺色の顔をみせた。「食べてみますか?」と、柄杓ですくった醸造中のものをいただく。なんと3年も寝かしたものという。まるで海上でかぐ海の香りのよう。上品な、なまこの塩辛のようでもある。僕は、ずっと海のそばで育ったせいか、なぜか懐かしい感じがする。
「よく独特のにおいといいますが、私から言わせると、それは発酵が十分でないから。これだけきちんと寝かせると、いい香りなんですよ」。ほんとにいい香り。これで最上の日本酒があれば、お酒もいけるし、アツアツのご飯でも、食べられそうだ。しょつるの原料は、ハタハタ。これに塩をかけて仕込む。塩分は27パーセント。塩がものすごく多いように感じるが、熟成の間に、塩は自然に沈んでいくこともあって、実にまろやかな味わいなのだ。まさに、うまみそのものの味なのである。
「魚と塩を交互に入れて、木のふたをして、重石を置く。味噌と同じですね。約半年から10カ月寝かします。そうしてかく拌し、もろみをかえし塩を均一にする。これを年に5、6回行います。1年でもいいけど、まだ角がある。3年以上だと、塩の角がとれて、まろやかで、うまみが出るんです」。諸井さんの話の通りで、塩辛くない。うまみが際立っている。
3年寝かしたものを、麻布でこし、蒸気の二重釜で85度で殺菌し、濾過して、一本一本、手で詰めて、初めて出来上がる。「しょっつるの文化を広げたいですね。じっくりやります」。すでに、諸井さんのところでは、天然のうまみであるしょっつるのおいしさを知ってもらおうと、鍋料理だけではなく、サラダやパスタなどにも使ってもらえるよう、さまざまなレシピも公開している。いずれにしても、日本独自の秋田のしょっつる、最上の調味料としてお薦めである。(ライター、金丸弘美)
2005年12月8日
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