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ゆらちもうれ
「ゆらちもうれ」は、奄美・徳之島の言葉で「ゆっくりしていきなさい」という意味です。 ちょっと一休みして、食の現場からの直送レポートを楽しんでいただけたらと思います。
2005年 2006年 2007年 
1月13日第38回 給食を通した食育のお手本 東京都北区の柳田小
1月19日第39回 身近にほしいファーマーズ・マーケット 茨城・ポケットファームどきどき
1月26日第40回 農業・加工・消費者教育まで一体化 三重・モクモク手づくりファーム
2月2日第41回 給食を通してきめ細かな教育 八王子ふたば保育園
2月9日第42回 頑張れ、甘夏かあちゃん 佐賀・呼子町
2月16日第43回 地域の魅力を形に 福岡「ぶどうの樹」
2月23日第44回 昔ながらの釜炊きの純黒糖 鹿児島・徳之島
3月2日第45回 コーヒー豆を日本で生産 鹿児島・徳之島
3月11日第46回 スローフードの本場を参考にした収穫祭 千葉・多古町「BRAぶらしんのみ祭り」
3月18日第47回 大人も「塩とおにぎりの味覚教育」
3月23日第48回 練馬区立八坂中学校のバイキング給食
4月2日第49回 3拍子そろった食育の現場 三重・モクモク手づくりファーム
4月6日第50回 東京の住宅街で四季を味わえる「馬橋リトルファーム」
4月14日第51回 三國のデザートにも使われた豊かな味わいの豆腐
4月25日第52回 東京・神楽坂で“個性的”南仏料理
4月28日第53回 手作りぬか床の宅配便
5月4日第54回 古民家で土地の味を提供 佐賀「四季のご飯 紘」
5月17日第55回 ギリシャがケラズマ料理をPR
5月25日第56回 今も作り続ける懐かしの味、水飴 佐賀・小笠原商店
6月2日第57回 高校生が料理を作る休日限定レストラン 三重
6月9日第58回 四万盾フ天然うなぎを食べる
6月18日第59回 地域の農家を先生に「畑の教室」 大分県・長湯小
6月23日第60回 地域を巻き込んだ「食育公開授業」 佐賀・有田
6月30日第61回 シェフに素材や料理を語ってもらいながら食事すると…
7月6日第62回 町全体をデザインする 大分・日田市大山町
7月14日第63回 地元産の材料でオリジナル菓子を作る 大分・佐伯
7月24日第64回 地域と密着した学校給食 大分・佐伯市の直川小
7月28日第65回 九州で「魚醤」を生産 大分・佐伯
8月3日第66回 東京の牧場で本格的味覚教育
8月17日第67回 歴史と伝統に現代の風を吹き込んだ酒造り 佐賀
8月24日第68回 大分・竹田市で豆腐テイスティング
9月1日第69回 荒れ放題の休耕地 NPOが緑あふれる畑に 東京・町田
9月9日第70回 “地域循環型”の酒屋さん 佐賀・山田商店
9月15日第71回 地域の食材をつかった給食「ふるさと献立」を開発 大分・竹田
9月26日第72回 伝統の食文化を守る創業300年超の麹の店 大分・佐伯
9月29日第73回 夫婦で栽培から料理まで 大分・竹田の山のレストラン
10月6日第74回 東京・渋谷の幼稚園で、秋を食べるワークショップ
10月12日第75回 モクモク手づくりファーム 山間地に人が集まる理由
10月20日第76回 地域に貢献する学校給食 大分・佐伯
10月30日第77回 カボスを使った味覚授業 豊かな阜サ引き出す 大分・竹田
11月2日第78回 旬の具材を使ったおにぎりで人をつなぐ 大分・佐伯市
11月10日第79回 日本一の産地でサフラン料理を作り食べる 大分・竹田
11月21日第80回 大学誘致を目指し「味覚講座」を毎週開催 神奈川・湯河原町
11月26日第81回 食材を知る 日本版「マスター・オブ・フード」開講
12月5日第82回 唐津くんちに合わせ特産市開催 唐津玄海食のプロジェクト事業
12月8日第83回 無添加・国産のしょうゆ造り 東京・近藤醸造
12月14日第84回 長寿を生んだ環境や食を見直し始めた鹿児島・徳之島
12月27日第85回 フルコースなのに低カロリー
このページの記事は、2005年4月から2007年3月まで、全国の食をテーマにした各地の新しい取り組みを「毎日新聞」のデジタルメディア「ゆらちもうれ」で、毎週、写真付きで紹介したものです。
第45回 コーヒー豆を日本で生産 鹿児島・徳之島
紅く実ったコーヒーの実

 奄美大島の徳之島に行って、初めて知ったのが島でのコーヒー栽培だ。マンゴーを育てている幸野平太郎さんに「仲間がコーヒーを栽培していて、取れた豆で、初めて焙煎して飲むんで、畑まで来て下さいませんか」と誘われ、紹介されたのが吉玉誠一さんである。5年前のことだ。それから吉玉さんとの付き合いが始まった

 吉玉さんは、島のくぼ地にコーヒー畑を持っている。栽培しているのはブラジルとモカ。苗木から、20年かけて育てたという。約120本を栽培し、親木はそのうち40本。そこから少し豆が取れるようになったのだ。取れるといってもほんの少量だ。

小さなコーヒーの花の芽

 枝には熟した可憐な紅い実がなっている。もいで噛んでみると、少し甘い。目をつぶると、異国の味がする。この果実のなかの種が、コーヒー豆となる。いい香りが、まるで島のそよ風のように漂ってくる。味は、強い焙煎にもかかわらず、とても爽やかで、ゆったりした時間を過ごさせてくれる最高の贈り物であった。

 実を一つずつ摘んで、奥さんの道子さんの力をかりて、コーヒーにする。水につけて、実の浮いたものよりわけ、果実を取り除いて豆を取り、天日で4週間かけて乾燥。それから、豆を被う皮を一つ一つ手でむいてコーヒー豆が誕生する。実に手のかかったコーヒーなのだ。このコーヒーが実に評判がいい。

 UCC珈琲の専門家の方に話して、一度、島まで来てもらった。そうしてコーヒーを見てもらった。すると、現在、吉玉さんが栽培しているコーヒーは、かつてブラジルで栽培はされていたものの、今では作られていない貴重な品種だということが分かったのである。つまり独特の風味と爽やかさには、理由があったのだ。

 吉玉さんは、昭和20年、宮崎の農家の生まれ。農業が好きだったが、跡を継げなくて、親の強い勧めで、やむなく大阪の鉄工所に勤めた。農業の夢はつのるばかりだった。ブラジルで農業をしようと、パスポートまで取ったが、すでに移民は打ち切られ、親からの猛反対もあって、そのまま大阪にとどまった。

 昭和56年、徳之島で核燃料再処理工場ができるといううわさがたち、島に、本土から150名もの反対派の運動家が集まった。その1人と知り合いだった吉玉さんは、これを機にと、島での農業を夢見て移り住んだ。こうしてブラジルへの夢は、島で土建業に携わりながら、コーヒー栽培へと託された。

 今から20年前、コーヒーがあると聞いて沖縄に旅に出た。しかし見つからず、奄美の宇検島でブラジルから来たという1本のコーヒーの木に出会い、周りにこぼれた種から生まれた小さな苗木を焼酎一本で100本もらい受け、伊仙町の青年団と試験栽培したのが始まりである。

コーヒーの畑。台風を避けるためにくぼ地にある

 育ち始めたとき区画整理で移植をよぎなくされ、そこからようやく根を張り始めたら、台風ですべて横倒し。それでも立ち直り、コーヒーは育った。ブラジルの木は高く風にやられやすいからと、10年前に熊本に出稼ぎにいって低木のモカ種の苗をみつけて、これも栽培を始めた。現在も台風との戦いが最も苦労するところだという。

 植えてから3年で花が咲き、少し実がつく。本格的収穫は10年かかる。白い花が咲き、それはやがて真っ赤な実になる。この小さなコーヒー畑を「応援してあげてよ」と、妻の早苗から頼まれた。彼女が出したアイデアが、コーヒーの植樹とオーナー制度だ。まず最初に植樹をしたのは、世界一周から日本縦断まで自転車でし、途中で徳之島によってくれた坂本達さんと、その時やってきた早苗の姉の大ぞの千恵子さんと仲間たち。

島にきてもらった人たちに植樹したコーヒーを紹介する吉玉さん

 僕は、東京の友人の藤原ゆきえさんを通じて、コーヒーの卸しをしている狩野知代さんと知り合い、彼女が東京でオーナーを募集してくれた。苗木が5000円、年間3000円の管理費で5年間、というもの。現在、約25名がいて、吉玉さんに苗木を育ててもらい、現在、オーナーがやってくるのを島で待っている。また狩野さんは、吉玉さんから毎年送られるコーヒー豆を使って「徳之島のコーヒーを飲む会」を東京で年に1度開催している。こちらも大好評だ。

 2004年に東京からの「ゆらしぃ島のスローライフ・ツアー」というのを東京から行い、このときに17名が参加した。このなかにコーヒーのオーナーになった20代の男性も2名いた。そうして、吉玉さんのコーヒーを訪ねて、コーヒーを味わった。これがすこぶる評判だったことから、今は、吉玉さんのコーヒー園見学は、小さいながらツアーの見学コースの一つともなっている。徳之島に寄られたときは、貴重なコーヒーの園をぜひのぞいてほしいものだ。

狩野知代さんのコーヒーの店
http://www.glaubell.net/

 2006年3月2日